Una casa in Franciacorta.
ワイナリー
 
 
 Una casa in Franciacorta.
ワイナリー

Una casa in Franciacorta.

フランチャコルタの家から始まる物語。

ヴィニェーティ・チェンチの創始者ネルソン・チェンチは、1960年フランチャコルタにワイナリーを開きました。軍人であり、医師であり、詩人でもある多彩なネルソン・チェンチは、引退後に気の合った友人達の為に17世紀の農家を買取りワイン作りを始めます。
身内の為に始めたワイン作りですが、そのブドウの木の特性に合わせた「選定」「栽培方法」など、丁寧に育てられたブドウを使用したワインは瞬く間に評判になり、一般にも販売されるようになりました。
葡萄園のミネラルを豊富に含んだ古代堆積層や湿度が残らないオルファノ山の南側という地の利を最大限に活かしたワインは、販売されるなり数々の重要な賞を受賞するまでに。

現在はネルソンの娘ジュリアナ・チェンチがオーナーとなり、ネルソン時代と変わらない、品質至上主義のフランチャコルタを作り続けています。フランチャコルタの最も古い25ワイナリーの一つでありながら、大規模化を目指していない珍しいワイナリーです。自分の育てたブドウ以外は一切使用しない為、年間の出荷数量が50,000本という極めて小さなワイナリーですが、一度でもその味をお試しいただければ、その品質を実感できることでしょう。発酵に使用する砂糖、触媒の硫黄の使用量を最低限に抑えた、最高の口当たりを保証致します。ネルソン・チェンチと彼の娘ジュリアナが40年以上の歳月を経て、フランチャコルタの家から創りだす最上のワインはフランチャコルタの中でも上質の味わいをお約束します。ぜひご堪能ください。

Topografia.

地 形

フランチャコルタ地方は、ブレシア郊外・イゼーオ湖のほとりのなだらかな丘陵地帯を指します。その最南端にオルファノ山があります。ラ・ボスカイオーラ農園があるのは、オルファノ山の南側の急峻な斜面で、太陽の恩恵を最大限に受けながら、イゼーオ湖からの強い風と雨を避けられる非常にブドウ栽培に適した地形です。北のイゼーオ湖からの湿度は遮蔽され、陽当りが良く、乾燥した空気が地表を最適の状態に保ちます。毎日の柔らかい風が安定した有機栽培によるぶどうの生育を助けます。これらの諸条件がワインになった時に、独特でも主張し過ぎない豪華なアロマとなります。

 

Terreno.

土 壌

地質学的にはオルファノ山は2,600万年〜500万年前の段階状の岩に分類されます。ポー渓谷内でも不思議な地層を特徴とし、その中で最も古い古代堆積層は海底のもので、鉄分を主体とした多量のミネラルを豊富に含んでいます。
この土の中に含まれた「ミネラル」こそが、ラ・ボスカイオーラの葡萄を最高品質に仕上げています。
ネルソン・チェンチがオレファノ山南斜面のコロン村という、フランチャコルタの中では異色な場所にラ・ボスカイオーラを設立した一番の理由は、この古代堆積層が含むミネラルでした。
確かな科学者の目で選定した、葡萄栽培に最適な土壌でヴィニェーティ チェンチの葡萄は育まれています。

I nostri uva.

私達のブドウ

ラ・ボスカイオーラが、約6ヘクタールの敷地で栽培する葡萄は、シャルドネ / ピノ・ブラン / ピノ・ノワール の3品種。日々葡萄の様子を見ながら「有機栽培」で大切に育て、収穫はすべて「手摘み」で行っています。もちろんぶどう棚にも拘りを持ち、長年の研究で最良の葡萄を作るために全力を注いでいます。

Method.

製造方法

ヴィニェーティ・チェンチとその他のワインとの決定的な違いは「純粋さ」です。ヨーロッパなどの寒い地域では、ワインのアルコール度数を上げるために、ブドウ果汁に砂糖を加える「補糖」が行われている事があります。本来、高品質の糖度が十分なぶどうであれば「補糖」は全く必要ありません。ヴィニェーティ・チェンチは自社のブドウ園で育てた良質なブドウしか使わないので、ブドウのみの糖度で十分なアルコール度数が得られるのです。
この「補糖」は、いわゆる「ワインの雑味」を生み出し、頭痛や悪酔いの原因とも言われています。ブドウ以外の材料を使わない「純粋さ」が他のワインと一線を画す極上の味をもたらすのです。

Nelson Cenci.

ネルソン・チェンチ

 
フェデリコ・フェリーニ

フェデリコ・フェリーニなどの著名人とも親交が深く、イタリアではかなり有名な人物です。

ワイナリーの創始者で、フランチャコルタ協会設立者の一人でもあるネルソン・チェンチのご紹介をします。彼は1919年にイタリアのリミニで生まれました。背が高く屈強で、運動神経抜群であったネルソンはイタリア陸軍に入隊。山岳戦に強いアルピーニ師団(第二山岳師団トリデンティナ)に配属されます。第二次世界大戦中盤、イタリアはロシアに対する進撃を開始し、その増援としてアルピーニ師団も冬季戦闘に派遣。しかし戦況が不利になりイタリア軍は撤退を決意。アルピーニ師団が指揮を務めることになりました。当時、師団長であったネルソンは戦闘中に負傷してしまいますが、なんとか部下の下士官に救出されます。その後は戦死していく者、負傷しても手当ができないため放置される者などとの別れを経験しながら無事帰還しました。つらい体験を経たネルソン・チェンチが目指したのは医療でした。勤務していたヴァレーゼの病院では、耳鼻咽喉科専門ながら、彼独自の手術法などを頼って常に患者が待っている状態になります。

その後も陸軍兵士、医者という仕事をしながら著作活動にも力を入れ様々な書籍を出版しています。陸軍時代の「戦闘語り」や「詩歌集」を出版する傍ら、医療従事者向けのマニュアル等も作成。非常に優れた著作家でイタリアではかなりの有名人です。1990年ネルソン・チェンチは病院業務から引退する時に、ブレシア近郊のフランチャコルタ地区でワイナリーを購入します。この土地は負傷した彼を救い出してくれた下級士官の故郷で、科学者ならではの視点で選定した場所にワイン用の土地を購入しました。そして、お世話になった方々のためだけに小規模でワインを作り始めます。丁寧に育てられたブドウを使用したワインは瞬く間に評判になり、一般にも販売されるようになりました。
2012年にネルソン・チェンチは93歳でその波乱の人生を終えます。彼が亡くなってからは、娘のジュリアナ・チェンチが事業を引き継ぎ、ネルソン・チェンチ譲りの優しいブドウ栽培、適切な管理で世界一と呼べる味を作り出しています。

ヴィニェーティ・チェンチ公式サイト

フランチャコルタ協会日本語サイト

薪オーブンキッチン

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